検証プロファイリング 佐世保小6同級生殺人事件と長野義妹殺人事件の酷似点-12
How childish the Japanese court is just like her(なんと日本の法廷は、ジャジャ馬サイコのように幼稚なのか)!
東仙坊、便宜上、24歳加害者義姉をヘチャムクレ、24歳被害者義妹をコジュー・ドゥーと呼ぶ。
そして、記述する年齢、職業など具体的なものは、事件発生年当時のものが基軸であることを、お断りしておく。
ここからのあらゆる経緯が、ヘチャムクレが蚊の鳴くように供述し、いくら一見内気に清廉潔白に見えても、陰険かつ狡猾に完全犯罪計画を実行した、psychopath(サイコパス)の自作自演の可能性が色濃く残っていることをぜひ念頭に入れ、話半分としてお読みいただくことを、東仙坊、改めて強く希望する。
というのも、いつのまにか鬼小姑にしたてられてしまっているコジュー・ドゥーは、永遠に何一つ自分で反論できず、例え百歩譲って実際言われているように執拗で粘着的性格だったとしても、公平性を欠くと考えるからである。
また、正直言って、2人の間に起こったとされている確執は、およそ低レベルで幼稚極まりなく、それこそ猫(?)も喰わぬものばかりで、佐世保事件の2人より12歳も年上なのに、いかにも子どもじみていて情けなくみっともない。
東仙坊、記述するだけで茫然自失、絶望的な気分になるが、何と正式法廷で取り上げられているので、やむを得ず簡素化して列記する。
さらにまた、5月までの出来事の全ては、5月19日の2人に義母兼母親を加えた3者による初めての“話し合い”で表面化、その真偽のほどは全くわからないということも、お断りしておく。
どちらにしても、24歳同士の義姉妹が、お互いに義母兼母親を介さなければ、面と向かって、口喧嘩一つはもちろん、話し合いさえできない関係であること自体、世も末と思うのは、東仙坊だけなのか?
その意味では、2人とも佐世保事件ジャジャ馬サイコの完全ダミー、クローンだと言わざるを得ない。
③2人が同居してから事件当日までのプロセス-1
●2006年12月、2人は今どきの24歳同士らしく、ごく普通に携帯番号とメールアドレスの交換。
これは、よくよく考えてみれば、凄く変ではないか?というのも、ヘチャムクレが結婚したのは3年前なのである。つまり、とっくに義姉妹。
では、なぜ、それまで携帯番号とメールアドレス交換をしていなかったのか?
その全ての責任が2人を媒介するはずのヘナチョコ次兄にあると思うのは、東仙坊だけなのか?
それどころか、この兄妹愛のないヘナチョコは、結婚前から、自分の妹への悪い先入観をヘチャムクレに与えている。実に情けないと思わないか?
それが自分のトラウマと父親の保険金を好き勝手に浪費している妹への嫉妬が原因だと決めつける、東仙坊が間違っているのか?
「冗談じゃない、自分の金でもあるんだぞ」と次兄はずーっと思い続けていたに違いない。
だから、所帯を構え子どもまで作った一人前のはずの26歳のオトコが、必死で働く母親から、その生活費や養育費を平然と受け取っていたのではないのか?
事実、2007年7月再び家を出て部屋を借りた時も、またその部屋代と生活費を母親から受け取っている。
また、2006年1月、妹がそのスカタンと一緒に、娘の1歳の誕生日を祝ってくれると言いだしたのを断ったのは、間違いなくこのヘナチョコである。
その点では、この次兄が共同正犯と言ってもいいと思わないか?
事実、警察もそれを視野に入れていた。
同じ12月、ヘチャムクレは面接を受け、翌年4月から、後にコジュー・ドゥーともめることになる富士見町社会福祉協議会「社協」への就職内定。
ここに、実は大きな重要問題があることを見逃さないで欲しい。
ヘチャムクレの子どもはまだ手の大変かかる2歳なのである。誰にその面倒を見させるつもりだったのか?夫?義母?義妹?保育園?なぜか全員が介護関係で、シフト仕事だろうから、一概に不可能でないことは分かるが…。
一緒に冷静に考えてみて欲しい。
ヘチャムクレは炊事、洗濯、掃除が好きな今どき珍しい貴重で稀有な若い女性ではなかったのか?自分のものなど何一つ買わず、それどころかチラシを見て少しでも安いものを買いに行く夢のように理想的で献身的な主婦だったのではないのか?
可笑しくないか?生活が大変だったとしても、夫と義母がすでに一生懸命働いているうえ、義妹までが働きそうなのである。
もしかすると、父親の保険金が、それこそ長兄の保険金(?)までが、残っていたかも知れない。
第一、生活費はとっくに義母の世話になっている。仮に保育園に頼んだとしても、介護士仕事の収入ではコストパフォーマンスが悪いと思わないか?
そうだとしたら、一体誰に家事をやらせるつもりだったのだろう?
家事が好きなのだから、喜んで専業主婦をやればいいだけではないのか?
誰もこの可笑しさを指摘しないので、東仙坊、とりあえず少し触れておきたい。家政婦は立派な仕事だと思うが、どうだろう?
そして、それ以上に摩訶不思議なのは、このヘチャムクレ、警察の取調べや自分の友だちへのメールでは、子どもが「どうされた」、「こうされそうだった」と、やたら言っている割には、実は子どものために何一つしていない。
ここに、この事件の全ての本質があるのである。
この事件の核心は、ヘチャムクレのbaby blue(ベビー・ブルー)が全ての原因。
子育てに悩む未熟な母親が、頼りない夫を見ていて、単にどうしていいかわからなくなっただけである。そして、思い余って子どもを殺し、自分が自殺することを選ばず、子育てを義母に依存しようとしたことを見破った義妹を殺害することで、子育てから逃げ出しただけである。
不運なことに、コジュー・ドゥーは、長女の身代わりとして、ヘチャムクレの身代わりとして、殺されてしまったというのが真相。
事実、ヘチャムクレは、法廷で、なぜか「自分には母親の資格がない」と明言している。
これを、殺人犯になったから資格がなくなった、と聞くのは、早計かつ浅薄である。
なぜなら、子殺しとその後の自殺と同じ、いやそれ以上の悲惨な結果を作ったからである。
自分の子と義母と周りを精神的に殺し、夫に精神的な復讐を間違いなく与え、自分は子育てを放棄できたのである。
東仙坊、ここまで言い切る、確信的根拠がある。
ヘチャムクレは、出産当初から、夫に、「子どもの寝つきが悪い、夜泣きが酷い」と愚痴を言っている。それに対し、コジュー・ドゥーの最初の文句は、「子どもの泣き声がうるさい」なのである。
実際、どんな幸せな家庭でも、子どもの夜泣きや泣き声の大きさと言う現実には悩まされるのではないのか?
子どもが泣くのは、自分のストレスやフラストレーションや欲求からであることぐらい、誰もが知っていること。
とすると、このヘチャムクレの子どもは、それに対する母親の対応に不満をいつも感じていたのではないのか?そう、どこか自分が大切に扱われていないといつも感じていたのではないのか?
そして、ヘチャムクレ自身が、本当に子どものことで苦悩していたからこそ、その自信のなさをストレートに指摘してきたコジュー・ドゥーに対し、反発を覚えたのではないのか?
人間だれしも、自分の弱点を的確に指摘されると、逆にその指摘をする人間に対し、凄い反感と怨恨を持つものではないのか?
つまり、ヘチャムクレは、コジュー・ドゥーが自分の内面の具現者、自分の弱さの象徴のように見えて、許せなくなったのである。
もちろん、それだけで長女とヘチャムクレの身代わりにされたのではない。
やはり、一番の理由は、コジュー・ドゥーの存在によって、自分勝手に決め付けていた“義母という名の家政婦”、“我が家”を取られたからに他ならない。
これを、法廷でのヘチャムクレの証言に基づいて言い直すと、「コジュー・ドゥーさえいなくなれば、もとの幸せな家庭が取り戻せる」とは、「コジュー・ドゥーさえいなくなれば、元通りに子どもの面倒は義母が見てくれ、自分は安心して仕事に行ける生活が取り戻せる」ということに他ならない.
その意味で、この義妹殺人事件は、一つの子殺しなのである。
それを裏付ける夫の供述がある。
裁判長の「お母さんがいなくなって、その3歳に満たない長女は何て言ってる?」という質問に、夫は「聞かれたら、仕事に行ってると答えているが、あまり聞かない」と答えたのである。
これって、凄く変だと思わないか?すでに顔を見なくなってから、4ヶ月近くも経っているのである。
もし、ヘチャムクレが子どもを溺愛していたなら、当然、子どもの方も、「ママはどこ?ママはどうしたの?」と何度も父親に聞くのが自然ではないのか?
Why doesn’t that baby cry to call “where is mom?” (なぜこの子どもは「ママはどこ?」って泣いて呼ばないのか)?
to be continued…
◎東仙坊へのメールはこちらへ◎

東仙坊、便宜上、24歳加害者義姉をヘチャムクレ、24歳被害者義妹をコジュー・ドゥーと呼ぶ。
そして、記述する年齢、職業など具体的なものは、事件発生年当時のものが基軸であることを、お断りしておく。
ここからのあらゆる経緯が、ヘチャムクレが蚊の鳴くように供述し、いくら一見内気に清廉潔白に見えても、陰険かつ狡猾に完全犯罪計画を実行した、psychopath(サイコパス)の自作自演の可能性が色濃く残っていることをぜひ念頭に入れ、話半分としてお読みいただくことを、東仙坊、改めて強く希望する。
というのも、いつのまにか鬼小姑にしたてられてしまっているコジュー・ドゥーは、永遠に何一つ自分で反論できず、例え百歩譲って実際言われているように執拗で粘着的性格だったとしても、公平性を欠くと考えるからである。
また、正直言って、2人の間に起こったとされている確執は、およそ低レベルで幼稚極まりなく、それこそ猫(?)も喰わぬものばかりで、佐世保事件の2人より12歳も年上なのに、いかにも子どもじみていて情けなくみっともない。
東仙坊、記述するだけで茫然自失、絶望的な気分になるが、何と正式法廷で取り上げられているので、やむを得ず簡素化して列記する。
さらにまた、5月までの出来事の全ては、5月19日の2人に義母兼母親を加えた3者による初めての“話し合い”で表面化、その真偽のほどは全くわからないということも、お断りしておく。
どちらにしても、24歳同士の義姉妹が、お互いに義母兼母親を介さなければ、面と向かって、口喧嘩一つはもちろん、話し合いさえできない関係であること自体、世も末と思うのは、東仙坊だけなのか?
その意味では、2人とも佐世保事件ジャジャ馬サイコの完全ダミー、クローンだと言わざるを得ない。
③2人が同居してから事件当日までのプロセス-1
●2006年12月、2人は今どきの24歳同士らしく、ごく普通に携帯番号とメールアドレスの交換。
これは、よくよく考えてみれば、凄く変ではないか?というのも、ヘチャムクレが結婚したのは3年前なのである。つまり、とっくに義姉妹。
では、なぜ、それまで携帯番号とメールアドレス交換をしていなかったのか?
その全ての責任が2人を媒介するはずのヘナチョコ次兄にあると思うのは、東仙坊だけなのか?
それどころか、この兄妹愛のないヘナチョコは、結婚前から、自分の妹への悪い先入観をヘチャムクレに与えている。実に情けないと思わないか?
それが自分のトラウマと父親の保険金を好き勝手に浪費している妹への嫉妬が原因だと決めつける、東仙坊が間違っているのか?
「冗談じゃない、自分の金でもあるんだぞ」と次兄はずーっと思い続けていたに違いない。
だから、所帯を構え子どもまで作った一人前のはずの26歳のオトコが、必死で働く母親から、その生活費や養育費を平然と受け取っていたのではないのか?
事実、2007年7月再び家を出て部屋を借りた時も、またその部屋代と生活費を母親から受け取っている。
また、2006年1月、妹がそのスカタンと一緒に、娘の1歳の誕生日を祝ってくれると言いだしたのを断ったのは、間違いなくこのヘナチョコである。
その点では、この次兄が共同正犯と言ってもいいと思わないか?
事実、警察もそれを視野に入れていた。
同じ12月、ヘチャムクレは面接を受け、翌年4月から、後にコジュー・ドゥーともめることになる富士見町社会福祉協議会「社協」への就職内定。
ここに、実は大きな重要問題があることを見逃さないで欲しい。
ヘチャムクレの子どもはまだ手の大変かかる2歳なのである。誰にその面倒を見させるつもりだったのか?夫?義母?義妹?保育園?なぜか全員が介護関係で、シフト仕事だろうから、一概に不可能でないことは分かるが…。
一緒に冷静に考えてみて欲しい。
ヘチャムクレは炊事、洗濯、掃除が好きな今どき珍しい貴重で稀有な若い女性ではなかったのか?自分のものなど何一つ買わず、それどころかチラシを見て少しでも安いものを買いに行く夢のように理想的で献身的な主婦だったのではないのか?
可笑しくないか?生活が大変だったとしても、夫と義母がすでに一生懸命働いているうえ、義妹までが働きそうなのである。
もしかすると、父親の保険金が、それこそ長兄の保険金(?)までが、残っていたかも知れない。
第一、生活費はとっくに義母の世話になっている。仮に保育園に頼んだとしても、介護士仕事の収入ではコストパフォーマンスが悪いと思わないか?
そうだとしたら、一体誰に家事をやらせるつもりだったのだろう?
家事が好きなのだから、喜んで専業主婦をやればいいだけではないのか?
誰もこの可笑しさを指摘しないので、東仙坊、とりあえず少し触れておきたい。家政婦は立派な仕事だと思うが、どうだろう?
そして、それ以上に摩訶不思議なのは、このヘチャムクレ、警察の取調べや自分の友だちへのメールでは、子どもが「どうされた」、「こうされそうだった」と、やたら言っている割には、実は子どものために何一つしていない。
ここに、この事件の全ての本質があるのである。
この事件の核心は、ヘチャムクレのbaby blue(ベビー・ブルー)が全ての原因。
子育てに悩む未熟な母親が、頼りない夫を見ていて、単にどうしていいかわからなくなっただけである。そして、思い余って子どもを殺し、自分が自殺することを選ばず、子育てを義母に依存しようとしたことを見破った義妹を殺害することで、子育てから逃げ出しただけである。
不運なことに、コジュー・ドゥーは、長女の身代わりとして、ヘチャムクレの身代わりとして、殺されてしまったというのが真相。
事実、ヘチャムクレは、法廷で、なぜか「自分には母親の資格がない」と明言している。
これを、殺人犯になったから資格がなくなった、と聞くのは、早計かつ浅薄である。
なぜなら、子殺しとその後の自殺と同じ、いやそれ以上の悲惨な結果を作ったからである。
自分の子と義母と周りを精神的に殺し、夫に精神的な復讐を間違いなく与え、自分は子育てを放棄できたのである。
東仙坊、ここまで言い切る、確信的根拠がある。
ヘチャムクレは、出産当初から、夫に、「子どもの寝つきが悪い、夜泣きが酷い」と愚痴を言っている。それに対し、コジュー・ドゥーの最初の文句は、「子どもの泣き声がうるさい」なのである。
実際、どんな幸せな家庭でも、子どもの夜泣きや泣き声の大きさと言う現実には悩まされるのではないのか?
子どもが泣くのは、自分のストレスやフラストレーションや欲求からであることぐらい、誰もが知っていること。
とすると、このヘチャムクレの子どもは、それに対する母親の対応に不満をいつも感じていたのではないのか?そう、どこか自分が大切に扱われていないといつも感じていたのではないのか?
そして、ヘチャムクレ自身が、本当に子どものことで苦悩していたからこそ、その自信のなさをストレートに指摘してきたコジュー・ドゥーに対し、反発を覚えたのではないのか?
人間だれしも、自分の弱点を的確に指摘されると、逆にその指摘をする人間に対し、凄い反感と怨恨を持つものではないのか?
つまり、ヘチャムクレは、コジュー・ドゥーが自分の内面の具現者、自分の弱さの象徴のように見えて、許せなくなったのである。
もちろん、それだけで長女とヘチャムクレの身代わりにされたのではない。
やはり、一番の理由は、コジュー・ドゥーの存在によって、自分勝手に決め付けていた“義母という名の家政婦”、“我が家”を取られたからに他ならない。
これを、法廷でのヘチャムクレの証言に基づいて言い直すと、「コジュー・ドゥーさえいなくなれば、もとの幸せな家庭が取り戻せる」とは、「コジュー・ドゥーさえいなくなれば、元通りに子どもの面倒は義母が見てくれ、自分は安心して仕事に行ける生活が取り戻せる」ということに他ならない.
その意味で、この義妹殺人事件は、一つの子殺しなのである。
それを裏付ける夫の供述がある。
裁判長の「お母さんがいなくなって、その3歳に満たない長女は何て言ってる?」という質問に、夫は「聞かれたら、仕事に行ってると答えているが、あまり聞かない」と答えたのである。
これって、凄く変だと思わないか?すでに顔を見なくなってから、4ヶ月近くも経っているのである。
もし、ヘチャムクレが子どもを溺愛していたなら、当然、子どもの方も、「ママはどこ?ママはどうしたの?」と何度も父親に聞くのが自然ではないのか?
Why doesn’t that baby cry to call “where is mom?” (なぜこの子どもは「ママはどこ?」って泣いて呼ばないのか)?
to be continued…
◎東仙坊へのメールはこちらへ◎


