日本砂漠化プロファイリング 世界の恥辱!?
Let's shame on together to the Japanese heartbreaker in the world(世界の恥さらし日本人を一緒に恥じよう)!
東仙坊、相変わらずイチローで一喜一憂している。
ノーヒットの日など、1日仕事にならない。自分のことのように胃が痛み、何とも言えないやり切れない気持になる。
これで、8年連続200本安打のメジャー記録は、成し遂げないまま終わってしまうのだろうか?
そんなことがあってはならない。イチローの名誉こそが、日本の名誉。
今まさに宗主国において、日本はその存在価値すら無視されようとしているのである。
せめて、イチローで溜飲を下げていたいと夢見ているのは、東仙坊だけなのか?
たびたびシアトルに行って痛感することは、ひとつのポリシーを持ち、それを実践的な結果で、シアトル市民の評価と称賛を獲得しているイチローは、日本の名誉の代名詞と言っても過言ではない。
メジャーリーグオールスターのファン投票のために、東仙坊、1日10回はイチローに投票している。
おかげで、東仙坊、わけのわからないほどたくさんの迷惑メールを宗主国はもちろん、世界中から受け取っている。メールチェックしていると、国際的に有名になったのかと勘違いしそうなくらいである。
間違いなく、いい悪いは別にして、世界の際がなくなっている気がする。
日本人として生まれた以上、世界の人たちから、いつも畏敬の念を持って見つめられていたいと再認識している。
今こそ日本人の「もののあわれ」を感じ取る「惻隠の情」を、世界に発信する時だと思わないか?
ところが、世界遺産であるフィレンツェの「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」の柱に、見晴らし台の大理石壁面に、落書きをしたという不届き千万の日本人大学生たちが出現したのである。
岐阜市立女子短期大学の学生の6人が、自分たちの名前と短大の略称「岐女短」の文字を、
京都産業大学の男子学生3人は、自分たちの名前と日付と「イタリア旅行記念」「京都産業大学」という文字を、
それぞれ油性ペンで落書きしたという。
思わず、心の中で涙の雨が降り始めるような気がしないか?
なんと未成熟で、無教養で、本当に情けなくてみっともないと思わないか?
少なくとも、海外へ行く前に、これらのバカタレどもには、相当の修養の時間を当てる必要があると思わないか?
こういう軽率な行為って、あの秋葉原無差別殺傷事件で、傍若無人に惨劇現場を携帯で撮っていたバカタレどもと同じだと思わないか?
「旅の恥はかき捨て」っていうことなのだろうか?
生きていることの現実感に欠け、生きる自信もなく、どうしていいかわからない幼稚なヒトたちが、「自分の記録を取ることが人生」のように錯覚しているとしか思えないのだが…。
そもそも、そういう発想って、どこから出てくるのだろうか?
人間、成功しようが、しまいが…。金を稼ごうが、稼ぐまいが…。
やがて、誰もが死ぬ。死んでしまえば、そんな名声も富も、何の意味もなくなるはず。
つまり、どんな記録を残したって、やがては何もかもが消えてしまうのである。その意味では、家だろうが、墓だろうが、同じだと思うが、どうだろう?
生きているうえで最も大切なことは、その生きているという歓びを感じ合うために、その瞬間瞬間を貴重なものと感じ合うために、いちいち写真を撮ったり、いちいち記録を残したりしている暇などはないと思うのだが、どうだろう?
そんなことをしている間に、せっかくの大切な何かが、しらけたり、どこかへ行ってしまったりしてしまうと思うが、どうだろう?
今、生きているという実感、生きていることのすばらしさ、それは、目に見えない大切な何かを感じ合うことだと思うのだが、どうだろう?
それって、写真を撮ったり、記録したりできるものではないと思わないか?
恋愛も同じだと思うが…。
イチローのひたむきな姿勢を見ているから、余計そう感じるのかもしれないが、本当にもったいない生き方をしている若者が多くないだろうか、どうだろう?
人生って、そのぐらい面白いと思うが、どうだろう?
ともあれ、イチロー、明日こそは、マルチ安打を打ってくれ!
Such a prick had better go back to elementary school(そんなバカは、小学校に戻ったほうがいい)!
◎東仙坊へのメールはこちらへ◎
東仙坊、相変わらずイチローで一喜一憂している。
ノーヒットの日など、1日仕事にならない。自分のことのように胃が痛み、何とも言えないやり切れない気持になる。
これで、8年連続200本安打のメジャー記録は、成し遂げないまま終わってしまうのだろうか?
そんなことがあってはならない。イチローの名誉こそが、日本の名誉。
今まさに宗主国において、日本はその存在価値すら無視されようとしているのである。
せめて、イチローで溜飲を下げていたいと夢見ているのは、東仙坊だけなのか?
たびたびシアトルに行って痛感することは、ひとつのポリシーを持ち、それを実践的な結果で、シアトル市民の評価と称賛を獲得しているイチローは、日本の名誉の代名詞と言っても過言ではない。
メジャーリーグオールスターのファン投票のために、東仙坊、1日10回はイチローに投票している。
おかげで、東仙坊、わけのわからないほどたくさんの迷惑メールを宗主国はもちろん、世界中から受け取っている。メールチェックしていると、国際的に有名になったのかと勘違いしそうなくらいである。
間違いなく、いい悪いは別にして、世界の際がなくなっている気がする。
日本人として生まれた以上、世界の人たちから、いつも畏敬の念を持って見つめられていたいと再認識している。
今こそ日本人の「もののあわれ」を感じ取る「惻隠の情」を、世界に発信する時だと思わないか?
ところが、世界遺産であるフィレンツェの「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」の柱に、見晴らし台の大理石壁面に、落書きをしたという不届き千万の日本人大学生たちが出現したのである。
岐阜市立女子短期大学の学生の6人が、自分たちの名前と短大の略称「岐女短」の文字を、
京都産業大学の男子学生3人は、自分たちの名前と日付と「イタリア旅行記念」「京都産業大学」という文字を、
それぞれ油性ペンで落書きしたという。
思わず、心の中で涙の雨が降り始めるような気がしないか?
なんと未成熟で、無教養で、本当に情けなくてみっともないと思わないか?
少なくとも、海外へ行く前に、これらのバカタレどもには、相当の修養の時間を当てる必要があると思わないか?
こういう軽率な行為って、あの秋葉原無差別殺傷事件で、傍若無人に惨劇現場を携帯で撮っていたバカタレどもと同じだと思わないか?
「旅の恥はかき捨て」っていうことなのだろうか?
生きていることの現実感に欠け、生きる自信もなく、どうしていいかわからない幼稚なヒトたちが、「自分の記録を取ることが人生」のように錯覚しているとしか思えないのだが…。
そもそも、そういう発想って、どこから出てくるのだろうか?
人間、成功しようが、しまいが…。金を稼ごうが、稼ぐまいが…。
やがて、誰もが死ぬ。死んでしまえば、そんな名声も富も、何の意味もなくなるはず。
つまり、どんな記録を残したって、やがては何もかもが消えてしまうのである。その意味では、家だろうが、墓だろうが、同じだと思うが、どうだろう?
生きているうえで最も大切なことは、その生きているという歓びを感じ合うために、その瞬間瞬間を貴重なものと感じ合うために、いちいち写真を撮ったり、いちいち記録を残したりしている暇などはないと思うのだが、どうだろう?
そんなことをしている間に、せっかくの大切な何かが、しらけたり、どこかへ行ってしまったりしてしまうと思うが、どうだろう?
今、生きているという実感、生きていることのすばらしさ、それは、目に見えない大切な何かを感じ合うことだと思うのだが、どうだろう?
それって、写真を撮ったり、記録したりできるものではないと思わないか?
恋愛も同じだと思うが…。
イチローのひたむきな姿勢を見ているから、余計そう感じるのかもしれないが、本当にもったいない生き方をしている若者が多くないだろうか、どうだろう?
人生って、そのぐらい面白いと思うが、どうだろう?
ともあれ、イチロー、明日こそは、マルチ安打を打ってくれ!
Such a prick had better go back to elementary school(そんなバカは、小学校に戻ったほうがいい)!
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